地中海東岸(シリア・パレスチナ)地方

地中海東岸地方

最後に3つ目の地方の地中海東岸。これらの地はメソポタミア諸国、エジプト、ヒッタイトといった国々に翻弄される歴史を持っていました。ところがBC12世紀前後に「海の民」といわれる正体不明の人々が来襲、この地からエジプト新王国やヒッタイトの勢力を駆逐し空白状態が成立しました。そしてそれに乗じていくつかの民族が活発化しました。

アラム人

最初にアラム人の登場。彼らは陸上通商に特徴がありました。交易活動の最大の拠点はダマスクスでした。広い範囲での交易に伴いアラム語が広く普及し、アラム文字は様々な民族に文字形成の基礎を与えました。特にソグド文字・突厥文字などがアラム文字系列と言える。

フェニキア

フェニキア人は海上交易で活躍した民族。拠点都市にベリトス(現在のベイルート)。他にシドンとティルス。特にティルスカルタゴの母市として知られている。さらにフェニキア人の文化的な業績はアルファベットの原形をギリシア人に伝えたことにある。

ヘブライ

最後はヘブライ人。ヘブライ人は苦難の歴史でした。ヘブライ人のうちエジプトに移住していた人々はエジプト新王国に迫害を受け預言者モーセに率いられて帰還するという出来事「出エジプト」がありました。その後、サウル王によってヘブライ人の政治統一が達成されヘブライ王国が成立し、BC10世紀のダヴィデ王・ソロモン王の時代には最盛期を迎えます。特にソロモン王はイェルサレムのシオンの丘にヤハウェの神殿を築いたことで有名。
しかしこの一時の繁栄もBC10世紀後半には王国の分裂によって破綻、北部のイスラエル王国。南部のユダ王国が生まれました。イスラエル王国アッシリアサルゴン2世に、ユダ王国新バビロニアのネブガドネザル2世に滅ぼされる運命にあります。
この時、ネブガドネザルがヘブライの民を首都バビロンに連行し約50年間にわたって捕虜状態にしたことを「バビロン捕囚」と呼ぶことは知られています。結局、この状態を終わらせたのが後のアケメネス朝ペルシアのキュロス2世でした。それは後に詳しく記述します。


ユダヤ教について>
ユダヤ教はバビロン捕囚から解放後に成立することになった。神が預言者を通じて様々な啓示を与えているというのがおおまかなシステム。モーセ預言者の一人として数えられ、彼には「十戒」が与えられたという。特色としては唯一神ヤハウェを信仰する一神教であることがポイント。多神教が主流のオリエントにおいてこれは稀なケース。そして、偶像崇拝を禁止していること。選民思想。メシア待望の観念。などが挙げられる。